2005年08月22日

あの時君は若かったシリーズ(2)

先日、高校時代から付き合いの続いている友人Tと飲んでいた時に偶然高校の同級生Yちゃん(女子)と会いその場でプチ同窓会が始まり「最近どう?」という彼女の質問に友人Tは何よりもまず最初に躊躇なく「けんとは最近飲むと脱ぐようになった」と説明したのを聞いて「俺の卒業からの10年間ってなんだったんだろう?」と深く考えるようになった下山けんとです。皆さん今宵もよろしくどーぞ。

先日の浦和戦後、『編集長の本音』希望者を募集したところ何人かの方から熱いメールを頂戴致しました。誠にありがとうございます。メールを頂いた方には後日、『編集長の本音メール』をお送り致しますので覚悟していて下さいませ。

また、まだまだメールは募集しておりますので興味のある物好きな方はコチラまでメールを下さい。「編集長の本音希望」と添付するのをお忘れなく。



さて、いつまでも振り返っていられません。
明後日は名古屋戦でございます。

名古屋戦と言うと97年の天皇杯1回戦(3−1)や00年J1ファーストステージ第3節(2v1)、昨年のJ1ファーストステージ14節、見事な逆転劇を見せてくれたあの試合などを思い起こす人が多いのではないでしょうか?

上に挙げた試合はどれも素晴らしいゲームで東京の歴史に残る名勝負となるものばかりです。
しかし、僕の中でこの時期の名古屋戦としてインパクトのあるのは、2003年のちょうどこの時期、8月23日に行われたJ1セカンドステージ第2節、瑞穂陸上競技場で行われた悪夢のあの試合なのです。




当日、僕は夏休みをとって友人たち(皆東京ファン、うち1人は我らが兄貴)と山中湖に遊びに行っていました。
夕飯の支度をしながら、試合開始時刻を迎えた我々。
その日のメニューはイタリア料理がメインでした。

友人は携帯の速報サイトでスコアを気にしつつも僕は夕飯の支度は進めます。
そして20時を回る頃には食卓に料理が並び、緊張感に包まれた晩餐会は開かれたのでした。

食事を始めて数分後、僕の携帯電話が鳴ります。
その着信は実家からです。
「これはきっと僕らが山中湖に来て中継を見られない事をしってい、尚かつ実家で試合の中継を見ている家族からの試合の動きに対する報告に違いない…!」
緊張感に包まれる食卓。
恐る恐る電話に手を伸ばし、携帯の着信ボタンを押すと…

「ジャーン!先制!」

母の声でした。
“もしもし”とか“今何してる?”とか“元気?”とかそういう言葉ではなくいきなり「ジャーン!」とか言う母も母ですが、それによって活気づく我々も我々です。
とにかく一気に食卓のボルテージはあがります。

しかしながら再び食卓は緊張感に包まれます。
何を食べているのか、それが美味しいのか美味しくないのか、そういう判断ができない程息のつまる空間。
森と闇と沈黙に囲まれた山荘が人間の呼吸音と食器同士が重なる音に支配されます。
と、その時またも携帯に着信が。
今度はマッハのスピードで電話に出ると

「ケリー!ケリー!ケリーが2点目!」

もはやニュース速報を伝えるアナウンサーよりも簡潔かつ単純な情報で我々を興奮のるつぼに巻き込んだのはまたもや母の声でした。
この2点目によって落ち着きを取り戻した我々はようやくここでその日の料理を楽しむことが出来ます。
皆に笑顔が戻り、そして会話もはずむ。
「これが僕の求めていたヴァカンスだ!」
至福の時を僕らは共有したのでした。

しかし。

悪夢は起こります。

10分後、三たび鳴った携帯電話に出ると、今度は母の口調が一遍していました。

「あのねえ〜…1点入れられちゃった…」

後ろでは父の怒号が聞こえます。
えらく興奮しているようで浅利がどうとか土肥がキックミスとか。
今度は少ない情報で確実なシチュエーションを想像しなければなりません。

その情報を総合するとどうやら浅利がバックパスをしたところ土肥がミスキックをして、それをあの狡猾なマルケスがしっかりとゴールに結び付けたらしい。

「まずい…!」
「残りはまだ20分近くあるというのにこの失点は流れが変わる」
「浅利が入っているという事はフミタケがいないのでは…!?」
「誰がチームを落ち着かせるんだ!」

食卓では見えない試合に対する大論議が始まります。
もうこの時点で料理の事などはどうでもよくなっているのは言うまでもありません。

そして3回目の電話から間も無く4回目の電話が鳴ります。
息を殺して電話に出ます。
誰もがこの時電話の先の母の声に集中していました。
しかしその声は僕らを暗闇へと突き落とす物でした。

「同点〜〜〜…」

呆れ返ったような母の声によって僕らの体温が下がります。
この流れ、アウェイでしかも相性の悪い名古屋。
「これはもう勝ちを捨てるべきだ!なんとか勝ち点1を取れればそれでいい!」
名古屋から遠く離れた富士山の麓、山中湖の山荘で、映像もない中、わずかな情報で出した僕らの答はそれでした。

しかし非常にも最後の電話は僕らを暗闇どころか地の底に追いやります。

「ロスタイムに入れられちゃった…」

その言葉を聞いたあと、僕らの食卓には10分以上会話がありませんでした。
いや、会話どころか人間の息吹すら無かった…そんな気すらさせる漆黒の空気の中、僕たちの闇の晩餐が幕を閉じたのです。



明後日は平日の名古屋戦。
恐らくはきっと職場や自宅で、試合を見に行けない人々が少ない情報を駆使してその試合展開を想像し、悩み苦しむのでしょう。
願わくば、あの夏の僕らのような人が生まれないように、東京の皆には頑張ってもらいたいものです。





【下山けんと】

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2005年07月16日

あの時君は若かったシリーズ(1)

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なんか2日続けての馬鹿企画に編集部からも
「TO*SCAの品位を落とした」
「酔っぱらって書くな」
「おまえ本当はいくつだ?」
と批難轟々、編集長の座が非常に危うくなっております下山けんとです。
皆さん、アラタメマシテこんばんは。

明日はマリノス戦です。
もちろん2戦連勝で勢いに乗り、なんとか後半戦の巻き返しのきっかけを作りたいところです。
が、まあ、今日はちょっと力を抜いて、少し昔のお話を。

夏のこの時期のマリノス戦。
そう、思い出すのは99年のナビスコ杯準々決勝ではないでしょうか?
あの頃の僕たちはまだJ2。J1の強剛相手に試合が出来るのがとても楽しかったものです。



この年のナビスコ杯は最初からトーナメント方式でJ1とJ2、合わせて26チームが参加した現在よりも規模の大きな物でした。

で、東京は1回戦の神戸に勝ち、2回戦市原に勝ち、ベスト8でマリノスと対戦することになったわけです。
まず7月20日に初戦@横浜国際(ちなみに、11号おまけ企画の「一番面白かった試合」でアウェイゲームをMendoza編集員が挙げています)、7月24日にホーム江戸川で第2戦を行ったわけです。

まあ試合その物については第1戦は見事なカウンターを駆使して3-0の快勝。
第2戦はマリノスの本気の猛攻を受け、2-0で負けたが、トータルスコアで僕たちが準決勝の切符を勝ち取ったのでした。


さて、ここでTO*SCA編集部員の過去のホームページを紹介。
まず、峰村編集員の東京中華からは東京応援風景。
東京応援風景1999(カップ準々決勝アウェイ)
東京応援風景1999(カップ準々決勝ホーム)

そしてビワコビッチ編集員の『football or die』からコラムを。
FOOTBALL OR DIE「東京に吹く風」


是非御覧になってみてください。
当時の東京のオモシロオカシサも見て取れます。

ところで、僕としてはこのアウェイの試合は懐かしくも少しほろ苦い思い出もあるのです。
と言うのも、この試合は当時付き合っていた彼女にフラれたばかり。
しかも彼女の家が横浜国際のすぐそばだったので、行きの電車の中でとてもせつない思いだったのを覚えています。
上に紹介した東京応援風景(アウェイ)の中で
>「ば〜か,花火は隅田川なんだよー!!」(笑)
というのがあるんですけどね。
実はコレ僕が叫んだ言葉だったんですよ。よく覚えています。
(きっと峰村編集員は僕が言ったなんて覚えてないどころか知らなかったんじゃないかな)
恐らく周りの皆はギャグと思っていただろうけど、当人にしてみると、1年前の同じ日に彼女と行った横浜の花火大会の思い出を振払いたい一心で叫んだ青春の叫びだったわけですな。
まあちょっとソレは大袈裟かもしれないけれど、昔の試合にはそれぞれの思い出や心情が色々詰まってて、思い返すとちょっとくすぐったくなってしまうものです。

明日のマリノス戦もたくさんの観客のうちの誰かの大切な思い出となるような試合となりますように。



【下山けんと】

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